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 飯田線は東海道本線・豊橋から中央本線・辰野まで196.0km(注:当時のキロ程)の 長大な路線です。 私がはじめて飯田線を訪れたのは1971年のことでした。当時は国鉄の幹線でも 未電化路線が多数あったにもかかわらず、飯田線のような長大なローカル線が 電化されていたのは、飯田線の前身が私鉄であったことによります。 豊川鉄道(豊橋−大海)、鳳来寺鉄道(大海−三河川合)、 三信鉄道(三河川合−天竜峡)、伊那電気鉄道(天竜峡−辰野)の4つの私鉄が 1943年に国鉄に買収され今の飯田線が誕生しました。
 1971年当時、旅客列車は中央本線直通の急行に165系電車やキハ58系気動車が 使われていた以外はすべて旧型国電で運行されていました。全線を直通する 急行「伊那」も80系電車であり、身延線の急行「富士川」とならんで最後の 80系急行として貴重な存在でした。 また、貨物列車は全線で運転されていましたが、牽引機は区間ごとにはっきり 分かれていました。(下図参照) いずれの区間も主力は輸入D型電機で、 風景もそれぞれ違った魅力をもっています。このような飯田線を南から順に 紹介していきたいと思います。
飯田線年表




  豊橋−中部天竜
 飯田線というと天竜川に沿って走る線というイメージがありますが、 この区間は天竜川とは離れて走っています。豊橋を出た列車は豊橋平野を走り、 平野が切れる長篠城から先は宇連川に沿って静岡県境へ向かいます。 途中、湯谷−三河槙原間は鳳来峡と呼ばれ好撮影地となっています。 静岡県に入った飯田線は、今度は天竜川支流の大千瀬川に沿って中部天竜に至り、 ここではじめて天竜川と出会います。
 私がはじめて飯田線を訪れたのは前にも書いたとおり1971年の7月のことです。 ED17もそろそろ廃車とのうわさを耳にしたことが、飯田線を訪れるきっかけでした。 当時は今ほど鉄道に関する情報がなかったため、本当にED17が残っているか確証の ないままの訪問でしたが、幸いなことにED17にめぐり合うことができました。 結局、この年には3回ほど飯田線を訪問し最後の活躍をするED17を撮ることができました。
 飯田線のED17は翌年にはEF10に置き換えられましたので、最後のED17の姿に接することが できたことは本当に幸運なことでした。

朝日をあびて鉄橋を渡るED17

1輌だけ配属されていたEF1599
鳳来峡を往くED1711

三河槙原駅でのタブレト交換

中部天竜で休むED1714



ED17の後を継いだEF1016 EF1023+EF1020の重連


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