廃止線回想(10) 幌内線





 北海道最初の鉄道は、幌内炭鉱から産出される石炭を小樽の港へ運ぶ事を目的に、 小樽(手宮)−幌内間で建設が開始されました。明治13年に小樽−札幌間が開通し、 その2年後の明治15年11月13日に札幌−幌内間が開通しました。 さらに、途中の三笠(幌内太)から分岐して幾春別へ至る区間が 明治21年12月10日に開通しました。
 その後、鉄道国有化法により国鉄に編入され、岩見沢−幌内間13.6kmと、 三笠−幾春別間7.2kmの支線が幌内線となりました。 開通した順番から岩見沢−幌内間が本線、三笠−幾春別間が支線という扱いになっています。
 私が訪れた1974年には、旅客列車は岩見沢−幾春別のみの運行で、 三笠−幌内間は貨物列車のみが運行されていました。 旅客営業という面から見れば、支線のみが生き残ったという形になっていました。 貨物列車は、岩見沢−幾春別間がD51、三笠−幌内間はキューロクが牽いていました。
つららの下がった幾春別駅にて


雪に半分埋もれた駅名表
三笠駅
 三笠は岩見沢からきた線路が幌内方面と幾春別方面に分岐する駅です。 この駅の線路配置はちょっと変わっていて、幌内方面と幾春別方面への分岐点が 駅の岩見沢側にありました。従って、幌内行きの貨物列車は、一旦、 推進運転で岩見沢側へ出て行き、その後、向きを変え幌内へ向かって出発していきます。 逆に、幌内からの貨物列車は、一旦、駅の横を通り過ぎた後、推進で駅構内へ入ってきます。 駅構内には転車台や給水塔もあり、長い時間見ていても飽きない駅でした。


幾春別へ向けて出発する貨物列車



幌内行きの貨物列車はキューロク牽引
構内で出発を待つD51とキューロク

転車台へ向かうキューロク

キューロクがぴったりの手押し式転車台





構内除雪
 幌内線を訪れた日、三笠駅は除雪作業の真っ最中でした。 広い構内を人海戦術で除雪するのは大変そうです。 程なく、D51に推されたラッセル車がやってきました。 ラッセル車は行ったり来たりして広い駅構内の除雪を行います。 しかし、線路脇に寄せられた雪の始末は、やはり人手による作業のようでした。
構内の除雪作業は人海戦術

作業の手を休めて出発する列車を見送る

ラッセル車がやって来た
除雪はラッセル車と人の協同作業



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