廃止線回想(2) 羽幌線



 羽幌線は留萌本線の留萌と宗谷本線の幌延を日本海沿いに結ぶ全長141.1kmの 路線でした。いわゆる盲腸線でもなく途中駅が25駅もあり、ローカル線と 呼ぶにふさわしいかどうかは別にして、旅客列車は気動車1輌か2輌で運行され ていましたので輸送密度としては低かったのでしょう。
 羽幌線に限らず北海道では盲腸線以外にも名寄本線、天北線、勇網線、胆振線など 鉄道網を構成していた多くの路線が廃止されました。広い地域に少ない人口という 特質をもつ北海道の鉄道を輸送密度という全国一律の基準にあてはめた結果なの でしょうが、なんとなく割り切れない気持ちです。(周辺の道路の整備状況や冬季の 除雪対策なども勘案されたようですが。) また、本州や九州では第三セクター化 で鉄道として生き残った路線が多いのに対し、北海道では鉄道そのものがなくなって しまった路線が多いのも寂しい限りです。





D615の牽く貨物列車
 6輌しか製造されなかったD61を撮影するために1970年に羽幌線を訪れました。 その時点でD61は全機留萌支区に配属されており、 深川区のD51と共に羽幌線の貨物列車に運用されていました。
 羽幌線での撮影ポイントを古丹別と決め、札幌から夜行急行利尻で幌延まで行き、 北から羽幌線に入るというプランをたてました。札幌から留萌に近い古丹別へ行くのに 幌延経由というのも馬鹿げていますが、学生の頃は宿泊費をうかせるために、 こういう計画をよくたてたものです。
 さて、当日はというと夜行の連続で相当眠かったようで、幌延での乗り換えも、 幌延から古丹別までの様子も、写真を撮影したことすら全く記憶にありません。 手元にあるネガとそこに書かれた「1970年3月2日 羽幌線・古丹別」と いう文字だけが羽幌線へ行ったことの証です。


D614とD51543の重連
深川区所属のナメクジ型D51


遠くからの撮影で牽引機の形式は不明
古丹別での列車交換



 D61はD51の軸重軽減のため従輪の2軸化を図った形式で、外観的には 車軸配置以外はD51となんら変りはありません。従って、下回りか ナンバープレートが写っていなければD51かD61かの区別はできません。 しかし、この日の写真を見ると、遠くからでナンバーが読めないものがあります。 まあ、D61でないとも言えないわけで、自分ではD61だったことにしています。


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